克己随神2011/12/30



古事記を学びなさい。開祖がよく教えられたそうである。

神の住む世界すなわち古事記の「高天原(たかあまはら)」は、地上に住む人間には見えず、そこに行くことはほとんど無理。しかし神に従って(随神)生きることはできる。「惟神(かんながら)」ともいう。地上と高天原を結んでいるのが「天の浮橋」で、開祖は「天の浮橋」に立ちなさいと教えられた。つまり神に従って生きることであるが、それにはしっかりとした覚悟がないと難しい。なぜなら人は易きに流れがちだから。人はそれまでの人生で垢にまみれている。この垢にまみれた己に勝つ(克己・吾勝)ために儀式を行う。キリスト教ではバプテスマ(洗礼)。仏教では頭を丸めて出家をする。その覚悟をした人を仏教では「菩薩」という。菩薩は自分のために生きるのではなく「衆生を救う」ために、自らの命をささげる(ただし出家をしないで在家のままでも「衆生を救う」覚悟をして生きることで菩薩になることはできる)。

相手を倒すために技を覚えるという人が多い。その人は地上に縛られたままで、お金、地位、名誉、物欲を尺度にして生きている。その状態で合気道を行うことはできない。合気道は克己随神、天の浮橋に立ってこそ実現する。合気道は魂魄阿吽の呼吸である。神の世界を垣間見、神に従って、魂で感じて、地上世界で具現する。魂魄阿吽の呼吸という。

天の浮橋では、いざなぎ・いざなみの命(みこと)が力を合わせ、天のぬぼこを使って大屋島を作られた。創造された。合気道の同志は天の浮橋に立って、すでに出来上がった大地を今度は修理固成することが使命。開祖が教えられた。そして地上天国の建設。われわれ合気道を志すものは、日々の稽古で「克己随神」、天の浮橋に立つことを常に忘れてはならぬ。