不思議 ― 2010/11/20

昔、合気道を本部道場で始めた頃、T師範が「折れない手(腕)」なるものを教えてくださった。腕を前にのびのびと力まずに伸ばし、それがはるかかなたまで、延びているように念じること。誰かが、その腕を力づくで曲げようとしても、その念が揺るがないようにすると、その腕は弾力性を保ちながら「不思議に」曲がらない。
実際に腕は曲がらないにもかかわらず、なぜ「不思議」と思うのだろうか?それは、誰かが腕を曲げようとして力を加えられた時に、それに抵抗すると腕にそれなりの「抵抗感」があるはずだと思い込んでいるからだ。その思い込みと実感とは違うので「不思議」と思ってしまうというわけだ。
それを不思議のままにしておくのは、合気道を稽古する意思がないのも同じ。不思議でなくなるのは、自分の見方が変わらなければならない。見方が変われば不思議だったことが「当然」となる。見方を変えること、大げさにいうと
自分を変えること、それが稽古。
精進しよう!
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