返し技 ― 2009/01/24
「高段者が下の者の受けを取る時、返し技をするのはやめるべきだ」という人がいた。心にひっかかった。
その人がいうには「高段者が下の者の技を返せるのは、当たり前。それで自分の強さを誇示することは、慎むべきだ」と。確かにそれはその通りで、そういうつもりで「返し技」をしたのでは、下の者の稽古を妨げることにもなる。
しかし返し技というのは、受けを取っている時、技を返そうと思ってやるのではなく、相手に従っていると、相手の体のどこかに隙間を感じ、その隙間に自然に入って行った結果、返し技になる、というものだ。譬えていうと、水が岩の割れ目に浸み込むように、である。
そして、返された方は普通どう感じるかというと、不快感はないようで、恐らくその逆であろう。その証拠に、返し技をして(になって)返ってくる言葉が「ありがとうございます」とか、その時は何も言わなくても終わってから「勉強になりました」と言われる。また言葉はなくても、親近感は間違いなく深まっている。
返し技をすべきでないという場合、合気道の稽古を型の稽古の枠を抜けていない。もちろん初心者はそれでよい。しかし合気道は最終的には型はない、というかそんなものは自然に消えてしまう。「返し技」もそうだが「取り」とか「受け」の区別もなくなる。なぜなら、合気道は愛の武道だから・・・
その人がいうには「高段者が下の者の技を返せるのは、当たり前。それで自分の強さを誇示することは、慎むべきだ」と。確かにそれはその通りで、そういうつもりで「返し技」をしたのでは、下の者の稽古を妨げることにもなる。
しかし返し技というのは、受けを取っている時、技を返そうと思ってやるのではなく、相手に従っていると、相手の体のどこかに隙間を感じ、その隙間に自然に入って行った結果、返し技になる、というものだ。譬えていうと、水が岩の割れ目に浸み込むように、である。
そして、返された方は普通どう感じるかというと、不快感はないようで、恐らくその逆であろう。その証拠に、返し技をして(になって)返ってくる言葉が「ありがとうございます」とか、その時は何も言わなくても終わってから「勉強になりました」と言われる。また言葉はなくても、親近感は間違いなく深まっている。
返し技をすべきでないという場合、合気道の稽古を型の稽古の枠を抜けていない。もちろん初心者はそれでよい。しかし合気道は最終的には型はない、というかそんなものは自然に消えてしまう。「返し技」もそうだが「取り」とか「受け」の区別もなくなる。なぜなら、合気道は愛の武道だから・・・
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